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養生とは人間の生命を輝かすことだ 人間の生くる処を拡げ人間の活き活き生くる道を養生というのだ
養生を目して 可し可からずの集積のように考えるのも間違いなら 可し可からずを養生とすることも間違いである 何を食っても旨く 如何に働いても疲れず どんな場処でもグッスリ眠れ 少ない食物からでも栄養を豊富に得 短い時間の眠りで新しい元気を得 働いて疲れず 眠って夢見ず 寒暑風湿を快く感ずるよう生くることが 何よりの養生であるのだ 寒暑風湿を避け 眠りを多くし 働くを少なくし 食うを多くし 不平を大にして生きてゆくことは 不養生のもっともなるもの
無病であろうとし 無事を保とうとして 之れらのことなしても 矢張り不養生なることは同じ 人間を萎縮せしむるものだ 人間の生くる場処を狭くするものだ 人間から溌剌として生くる元気を奪うものだ 養生とは無事を保つことではない 養生は無理を無理なく用うることだ 無理のない養生は不養生の一つだ 護ることもとより大切だが 鍛えることはもっと大切だ 鍛えるということの出発点は心にある 行為そのものに鍛えるということがあるのではない
断食して丈夫になる人あり 餓死する人あり 食いたくとも食わぬ人には断食は健康法になり 食いたいのに食えぬ人は餓死する 生と死の境「わ」と「え」のみ 養生の第一歩は心の「わ」と「え」を切替えることにある 「え」から出発した如何なる行為にも鍛えるということは含まれてはおらぬ 「わ」から出発した如何なる行為も人間を鍛える
人間の体自身 髯をそれば濃くなり 腕を使えば太くなるように出来ている
人間のもつ自然の力を溌剌と伸ばすことに 養生の養生という所以があることを忘れてはなるまい |
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